読んだ本メモ⑫ 「オデッセウスの鎖 適応プログラムとしての感情」R.H.フランク著、山岸俊男監訳
「感情」とはなにか、なぜ人は「感情」をいだくのでしょうか。 人間は利己的であると、現代の行動学者たちは考えている。(中略) 自己利益を見逃す生物は自然選択によって排除されると、生物学者は主張している。物質的報酬が学習で大きな役割を果たすことに心理学者は目を向ける。経済学者もまた、(中略)行動を説明したり予測するのに利己主義の観点が有効だとしている しかし「自己を優先する」という誇張された人間像は、多くの人間にあてはまらない。 と筆者は本書の冒頭で述べ、ボランティアや災害現場における勇敢な行動を例に挙げ、「自己利益を優先する」人間像に疑問を投げかけています。 本書では、先に述べたような自己利益追求モデルを真向から否定することなしに、社会学的もしくは進化生物学的になぜ人間が感情を持つようになったのか、利他的行動が自己の物質的な利益にどう作用し得るのかを鮮やかに説明してくれます。筆者は感情に基づく行動規範を、コミットメント・モデルと呼んでいます。 日本においても「情けは人の為ならず」などのことわざに表れているように、道徳感情は重要視されてきました。 まず、「感情」とは人間の脳にハードウェア的に組み込まれた先天性のものか、それとも文化による条件づけによる後天性のもの、どちらなのでしょう。 自己犠牲行動は、すべて文化による条件づけの結果によるのかもしれない。これはウィリアム・ハミルトンの視点である。ほとんどの文化は、道徳的規則を教育し、強化するのに多くの努力を払っている。これらの規則のほとんどは、「人間性の中の動物的部分」に異議を唱え、他人のために自分の利益を犠牲にするように呼びかけるものである。これらの規則は、ひょっとすると自己犠牲的な行動の本当の理由かもしれない。 しかし、少なくとも何種類かの自己犠牲的行動は、文化によっては説明できない。 文化による条件づけをある程度は認めつつも、それだけでは説明しきれないと述べてられています。とす ると、人間が先天的に持ち合わせている感情もあるということになります。つまりそれは、進化の過程で発達させた形質ということ。どうして自然選択により排除されなかったのでしょう、また排除されないということは生存に有利でなくてはなりません、なぜ自己犠牲などが自己利益に繋がるのでしょうか。 人間の自己利益に反...