ゴッホとゴーギャン展 上野・東京都美術館

私は、ラッセンよりふつうにゴッホが好きです。


ということで、ゴッホとゴーギャン展に行きました。
会期終了間近の日曜だったので、大変な混雑でした。(20分待ち)


みんなゴッホ好きですよね。ゴーギャンも人気でしょうけど。
私が人生で最初に画家として認知した人物はゴッホだと思います。
小さいころ絵を描くのが好きで、なりたい職業として”絵描き”を上げていた私に、
両親は、「生きているうちにはまったく売れないかもしれないよ」といいました。

それはまさしくゴッホのことでした。
あの特徴的な作風は、物心がつくよりも先に私の脳に焼き付いています。
そして、「夭折の天才、死後に評価が高まる」というのが私のなかの典型的な画家像となりました。

そして、ゴッホと並び評されるゴーギャン。
ゴーギャンも小さいころから知っています。でも、タヒチの人を描いた作品を多く見ていたので、ゴーギャン本人も色黒だと子供のころは勘違いしていました。ゴーギャンが白人と知った時は非常に驚きました。

それはさておき、

今回の企画展を見て、二人のイメージは大きく変わりました。
同時代を生き、アルルで共同生活を送るほど親密な交流をしていた二人ですが、その作風はまったく異なります。

ゴッホの作風は、糸杉の絵などに代表されるような、揺らめく線と特徴的な色使いです。
私は、とても神秘的な絵を描く人と認識していました。

一方、ゴーギャンはタヒチに暮らす人々とその人々の生活を描いており、大胆な色彩の配置と構図をとりつつも、どちらかというと写実的な印象を持っていました。


しかし、実はまったく逆だったのです。
ゴッホとゴーギャン展では、二人の作品だけでなく二人に影響を与えた画家たちの作品も踏まえながら、いかにして影響をしあい、作風を変化させていったか、というのがよくわかりました。


そこで強調されていたのは、

常に現実を描こうとするゴッホと、夢や空想を好むゴーギャン

という人物像でした。


ゴッホは常に現実を描こうとしていました。
多くの肖像画をゴッホは残していますが、
目の前にいる人物を、その人柄を含めて現実を描こうとしていました。

一方で、ゴーギャンは
現実とは異なる配置やそこにいるはずのない人を描くなど、自由な構成を好みました。

アルルでの二人の共同生活は、たった二か月間だったというのには驚きましたが、
どれほど濃密な時間を過ごしたのでしょうか。激しく議論を交わし、結果ふたりの生活は破綻してしまいますが、後期の作品からはまったく逆の印象をもってしまうということからも、互いに非常に大きな影響を与えていたことがうかがい知れます。


さて、ゴッホと言えば、

ひまわり、ですが、

今回一点だけ展示されていたひまわりの絵はゴーギャンの作品でした。


それはゴッホとゴーギャン展を締めくくる一枚なんですが、
ゴッホの死後、タヒチで暮らすゴーギャンがわざわざヨーロッパからひまわりの種を取り寄せて、描いたそうです。二人の友情を象徴するこの作品は、本企画展を締めくくる作品にまことに相応しい作品でした。

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