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6月, 2015の投稿を表示しています

科学ジャーナリズムについて

私のいる大学では「科学技術ジャーナリズム」という講義が開講されていて、私は時々修士の学生に混じって聴講しています。その時に聞いた話を今回まとめました。 科学の常識は、世間には理解されにくいのが現状です。 科学は「ブレーキのない車」と言われます。(村上陽一郎『科学者とは何か』新潮選書) 知識と技能を職能の基礎とする人たちには、医師、聖職者、法曹家、そして科学者がいます(他にもいろいろあると思いますが、大まかに)。医師、聖職者、法曹家は苦しんでいる人たちを対象とした仕事です。外部社会とのつながりの上に成り立っていて、外部社会の評価を受ける職業です。 しかし一方で、科学者は同業者にのみ目を向け、同業者の評価だけを求めて、自己完結的な営みを重ねていると言われます。(全てが全てそうというわけではありませんが…) それは、専門誌に論文を載せることに重きを置き、それこそが共同体に対する誠実な態度と考えられているからです。メディアにばっか出ている人は科学者から疎まれるのもこうした科学の常識によるところです。そもそも、科学というものは過去の功績の上に積み重なるように、ときには過去の功績を書き換えながら、堅実な知識を蓄えてきたという事実があります。それゆえ、一般世間との壁は厚くなる一方であり、分野の細分化が進む現在では科学者同士であっても分野が違えば常識が通用しないということが起こるわけです。 科学は外国文学に例えられます。 例えばロシア文学を私たちが読むためには、二通りの方法があります。一つは、ロシア語を勉強すること、もう一つは翻訳を読むことです。科学を理解するための方法は、科学の基礎を学ぶことだけでしょうか。そんなことはありません。ロシア語をみんなが学ぶことが現実的でなく、翻訳を読む方が大半であることと同様に、科学についても翻訳が必要だということです。それこそが、科学をわかりやすく伝えるサイエンスライティングやサイエンスコミュニケーションの仕事です。 もちろん「戦争と平和」の邦訳を読んでも、トルストイの伝えたいことを完全に理解することはできません。ロシア語だからこその表現方法であったり、ロシアの文化、時代背景を私たちが共有できていないからです。しかし、翻訳を読むことはトルストイを知る入り口であり、その価値に触れるきっかけです(私は読んだことありませんが…)。興...

読んだ本メモ⑬ 「生物学のすすめ」 J.メイナード=スミス著、 木村武二訳

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イギリスの生物学者 J. メイナード = スミスによって書かれた“ The problem of Biology ” (1986 年刊 ) の邦訳版「生物学のすすめ」を読みました。邦題は若干ダサいですが、生物学について広範にわたって教えてくれる良著だと思います。内容は大学で学ぶ生物学相当で、高校の生物で習う程度の知識があれば難なく読める本です。 大学で進化生物学や細胞生物学を学んだことのある人にとっては、前半はいささか退屈です。でも、後半はとても面白い。生命の起源、行動などをテーマに生命・生物に対する疑問を解消してくれます。 いくつか、興味をそそられた内容をメモがてら紹介します。 まず、これは遺伝学の基本 遺伝学についての知識の発展には四つの主要な段階がありました。それはワイスマンによる生殖質と体質の独立の概念、一九〇〇年のメンデル法則再発見にもとづく遺伝における原子説の確立、主として T ・ H ・モーガンらのショウジョウバエの研究にもとづく染色体理論、そして一九五三年のワトソンとクリックによる DNA の構造決定に始まる分子遺伝学の成長の四段階です。 種とは? 異なるさまざまな基本形態があって、しかも中間型がないという事実から次のような疑問が生じます。生物には現在のいくつかの門が示している少数の設計図しかあり得なかったのでしょうか。それとも私たちは歴史の中で起きた偶然の積み重なりの結果を見ているのでしょうか。ダーウィン以前の被殻解剖学者は前者の見方をとっていましたが、ダーウィン以来、後者の見方が優勢になりました。 生物学者は、生命の謎に迫ろうと研究を進めれば進めるほど、精巧に作られたその仕組みに感嘆し、神の存在を意識せざるをえないといいます。わたしたちの持つ複雑な DNA は変異と自然選択の積み重ねが生んだ産物です。はたして生命誕生からこれまでの年月は、わたしたちの DNA ができるのに妥当な時間なのでしょうか。 進化にどれくらいの時間が必要かを算定する方法があるかどうかについて考えたいと思います。この問題に定量的にせまる道は一つしかないと思います。それは、ヒトのゲノムに存在する DNA が、自然淘汰によって特定なものになるだけの時間があったかどうかを調べることです。私たちは DNA がどのように発生を調節するか...

大菩薩山系 葛野川釜入沢・深入沢

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GWの休暇を利用し、沢を二つ落としてきました。 場所は葛野川の釜入沢(1級上)と深入沢(2級下)です。 5月4日8時半、クロスバイクを輪行して猿橋駅に到着。 今回は幕営具も入っているのでザックは推定15㎏くらい? そんなザックを背負って、猿橋駅から約15㎞のロードを走ります。登りなんでつらい・・・ 何とか11時頃、深城ダム到着。ダム見学&休憩している人ちらほら。 そんな人たちを尻目に私は、遡行の身支度。自転車と幕営具は目につかないところに隠して、出発です。 初日は、釜入沢。入渓は結構めんどくさそう。一応、深入沢とに挟まれた尾根にある山道(階段があります)を少し入り、すぐに沢沿いをトラバースする方法がスタンダードなようです。それ通りにうっすらある踏み跡を辿っていくと、比較的大きな沢筋にでます。結構急ですが、砂と落ち葉にまみれながら、転げ落ちるようになんとか沢床に降りれます。割と高度感あるので、同行者次第で懸垂も考慮ですね。 沢床についてみると、意外と小ぶりの沢ですが、明るく気持ちのいいところです。遡行開始! 気温も結構上がっているのもあり、水温は気持ちのいい程度。 岩は割とコケがついていて滑ります。しょっぱなの小滝でいきなり足を滑らせ、釜に顔面からダイブしてしまった。今シーズン最初の沢で、いきなりの洗礼を受けたおかげで、沢感覚が戻ってきて遡行スピードが上がる! 滝は基本的に直登の方針でガンガン突っ込む。もうびしょ濡れだから、釜に入るのも厭わない。 釜入沢の最大、3段13mに到着。下からは2段3段の下部はよく見えない。ルート100の記載では、「2段目までは登れそうだが、3段巻き」となっている。うーん。 まぁ、それぞれがかなり独立していることと、ゴルジュではなく、途中で立ち往生ということはなさそうなことを踏まえ、突撃することにした。その時の撮った動画が以下です。 3段をすべて直登(3段目はちょっと水線からずれている?笑)し、少し優越感に浸りつつ進んでいると、沢は傾斜を増していきます。最後の方は小滝が連続するような感じになり、次第に水は枯れていきます。最後の二股を左に進むとすぐに仕事道にぶつかりました。割としっかりした仕事道を左に進んでいくとすぐに深入沢とに挟まれた尾根上に出ました。(14時頃) ここから尾根道を下...