読んだ本メモ⑬ 「生物学のすすめ」 J.メイナード=スミス著、 木村武二訳
イギリスの生物学者J.メイナード=スミスによって書かれた“The problem of Biology”(1986年刊)の邦訳版「生物学のすすめ」を読みました。邦題は若干ダサいですが、生物学について広範にわたって教えてくれる良著だと思います。内容は大学で学ぶ生物学相当で、高校の生物で習う程度の知識があれば難なく読める本です。
大学で進化生物学や細胞生物学を学んだことのある人にとっては、前半はいささか退屈です。でも、後半はとても面白い。生命の起源、行動などをテーマに生命・生物に対する疑問を解消してくれます。
いくつか、興味をそそられた内容をメモがてら紹介します。
まず、これは遺伝学の基本
遺伝学についての知識の発展には四つの主要な段階がありました。それはワイスマンによる生殖質と体質の独立の概念、一九〇〇年のメンデル法則再発見にもとづく遺伝における原子説の確立、主としてT・H・モーガンらのショウジョウバエの研究にもとづく染色体理論、そして一九五三年のワトソンとクリックによるDNAの構造決定に始まる分子遺伝学の成長の四段階です。
種とは?
異なるさまざまな基本形態があって、しかも中間型がないという事実から次のような疑問が生じます。生物には現在のいくつかの門が示している少数の設計図しかあり得なかったのでしょうか。それとも私たちは歴史の中で起きた偶然の積み重なりの結果を見ているのでしょうか。ダーウィン以前の被殻解剖学者は前者の見方をとっていましたが、ダーウィン以来、後者の見方が優勢になりました。
生物学者は、生命の謎に迫ろうと研究を進めれば進めるほど、精巧に作られたその仕組みに感嘆し、神の存在を意識せざるをえないといいます。わたしたちの持つ複雑なDNAは変異と自然選択の積み重ねが生んだ産物です。はたして生命誕生からこれまでの年月は、わたしたちのDNAができるのに妥当な時間なのでしょうか。
進化にどれくらいの時間が必要かを算定する方法があるかどうかについて考えたいと思います。この問題に定量的にせまる道は一つしかないと思います。それは、ヒトのゲノムに存在するDNAが、自然淘汰によって特定なものになるだけの時間があったかどうかを調べることです。私たちはDNAがどのように発生を調節するかをよく知りませんが、淘汰によって生み出された、発生の調節に必要な情報のほとんどすべてをDNAが含んでいることは確かです。受精卵においてはほかの構造も重要ではありますが、DNAだけが遺伝をになっていますので、淘汰によってプログラムされ得るのです。
ヒトの染色体には全部で10の9乗の塩基対があります。そのうち大半は高度に反復的、特定されるべきDNAの長さはせいぜい10の8乗。一世代ごとに集団の半分が死滅するとしますと、完全な特定化には二世代の時間がかかる。もう少し緩やかにして、一塩基についき十世代かかるとしましょう。この場合だと、10の9乗世代あれば、ヒトのゲノムを特定化するのに十分だということになります。これだけの世代のためには、生命誕生以来今日までの時間すなわち3×10^9年あれば十分以上です。
古典的な生物学の考え方の一つに、収斂進化というものがあります。これは、進化系統的に大きく離れた(例えば、魚類と哺乳類など)種同士が、同一の環境に適応したために非常によく似た形質を獲得することをいいます。例えば、海で泳ぐために魚もイルカも流線型の体とひれといった形質をもっています。これは生物が進化で獲得した形質が適応的である、適応的であるからこそ淘汰されていない、と考えられます。しかし、すべての変化が適応的であるわけではないようです。
動物の形質には、もっと改良できたはずなのに、過去のしがらみのせいでそのままになている形質がたくさんあります。たとえば、私たちの背骨は下の方で湾曲していて、これが背中の痛みの大きな原因になっているのですが、祖先型が四足で、最近になってやっと直立するようになったため、このようになているのです。もっと基本的な設計ミスは、私たちの鼻が口の上にあることです。このため、食物と空気の通り路はのどの奥でぶつかってしまいます。このような配置は、魚類の鼻孔が呼吸のためのものでなく、化学感覚器への入口であったことによります。この種の不適応形質は、私たちが全智の創造者によって設計されたのだとしたら説明できませんが、進化の過程でいろいろな構造がその機能を変えたのだとすれば、納得できます。
なぜ私たちは老化をするのでしょうか?そんな疑問にもこの本では答えてくれます。
高等動物に共通な特徴として老化があります。つまり、年をとるにつれて死ぬ確率が高まり、またしばしば繁殖率が落ちるという現象です。なぜそうでなければならないのでしょうか。動物は長生きして、それだけ長く子どもを作り続けるほど、自分の遺伝子をたくさん後の世代に伝えることができるはずなのですから。
ワイスマン、もし老化がないと個体の入れ替わりが起きないので進化も起こり得ないからだとせつめいしました。第一に、動物に老化という性質が備わっていなくとも事故によって死にますから進化は進行します。もっと重要なのは、個体にとって有利な形質なら、たとえ長期的にみて種にとって有害であったとしても、それは淘汰によって主に定着するという点です。
歯、なぜ永久歯?脳細胞、入れ替わらないなぜ? しかし、固定した数の細胞でできた脳は、始終細胞が分裂している脳よりよく働くということはほとんど確実です。もし生え代らない歯や増殖しない細胞といった変化が、年とった動物に老化という害を与えたとしてもその代償として若い動物をとり効率の高いものにするなら、その変化は自然淘汰において有利となるでしょう。その理由は、ほとんどの個体がいずれにせよ年をとる前に事故によって死ぬということで十分です。
生命とはなんでしょうか。ある空間内で状態が変化せず、外界と物質的なやりとりがないことを定常といいます。一方で状態は変化していないが、外界との物質的なやりとりは行われていること、これは“平衡”と呼ばれます。生命はこれにあたるわけですが、その点では渦巻きなどの自然現象でも平衡です。
私たちは生体システムの調節と、渦巻きの安定性とは違うと考えます。この違いは、調節に知性が関係しているかどうかという問題とは無関係です。それは簡単な人工のシステムで、物理的ちよりは生物的なシステムに似たものを例にとれば分かります。セントラル・ヒーティングの家を考えましょう。そこにはサーモスタットがあって、たとえば気温が摂氏二十度より下がったら暖房のスイッチが入り、二十度を数度越えたらスイッチが切れるようにセットすることができます。ここには注目すべき点が二つあります。第一に、サーモスタットという「感覚器官」があり、それは温度についての情報を電気の情報に翻訳し、電気情報がボイラーを調節します。ちょうど耳が空気の振動についての情報を頭角神経のメッセージに翻訳するようなものです。第二は、サーモスタットへの小さなエネルギー入力で、ボイラーからの大量のエネルギーを放出できるという点です。
これ以降は、生命の起源に迫っていきます。われわれは実験室で、生命を誕生させ進化させることができるのでしょうか。
生命体とは増殖、変異および遺伝という性質を備えたものです。地球上の生命の起源を理解するためには二つのことが必要です。第一に、これらの性質を備えたものが、地球という条件下でどのようにして生じ得たのかを知らなければなりません。生物体が生じさえすれば、自然淘汰による進化が引き続いて起ることは当然でしょう。しかし、最初の生命体は現在存在するどんな生物よりもはるかに単純だったはずですから、第二に最初の単純な生命体がどのようにして現在の生物のようなものに進化し得たかを知る必要があります。
原始生命はどのように誕生したのでしょうか
ホールデンとオパーリンは、酸素ガスのないところでなら有機化合物は自然に生じると論じました。この説は一九五三年にシカゴのスタンレー・ミラーとハロルド・ユリ―によって実験されました。ミラーは原始大気に含まれていたと思われる水蒸気、メタン、水素およびアンモニアを混合したガスの中で放電(いなずまを想定して)を行いました。その結果、多種類のアミノ酸を含むさまざまな有機化合物が生じました。
原子の海の中にできた有機化合物は、それと反応する酸素もなく、それを食べる微生物もいなかったので、次第に蓄積し、ホールデンの表現でいえば熱くて薄いスープになっていたと考えられます。
生きた細胞の持つ特性のいくつかを見事に再現した研究としてオパーリンの長い一連の実験が挙げられます。タンパク質、核酸、炭水化物などさまざまなポリマーを水に溶かすと、小さな滴をつくるようになります。オパーリンはこの小滴をコアセルヴェートと名づけました。この状態では、水よりも小滴中の物質の方によく溶ける物質は小滴の中に濃縮されます。一つの実験で、オパーリンはヒストン(タンパク質の一種)とアラビアゴム(炭水化物の一種)から作った小滴を調べました。ここに糖ををつないでデンプンにする酵素(もちろん生物からとったもの)を加えるたところ、この酵素はコアセルヴェートの小滴中に濃縮されました。それから適当な糖(ブドウ糖)とリン酸(エネルギー供給のため)とが結合したものを加えると、この分子は小滴中に入り、結合しあってデンプンになったのです。デンプンは小滴中に留まり、離れたリン酸は外へ拡散しました。そして結果として、小滴は、成長し、二つに分裂したのです。別れたそれぞれの小滴は、酸素の分子を含んでいれはまた成長を続けました。この増殖は最初に与えられた酵素が薄まってしまうまで続いたのです。
実験室で遺伝と進化を模倣する
ここでは進化するものとはただのRNA分子です。DNAではなくRNAが選ばれたのは、RNAが一本鎖で、しかもそれが自分自身で折りたたんでヘアピンとクローバーの葉のような構造をとるという理由からです。つまり、RNAの分子は「表現型」を持ち、それが分子の安定性は複製されやすさに影響するのです。いいかえれば表現型がダーウィン適応度に影響するとうわけです。
初期の実験でスピーゲルマンは、たとえかなり長いRNA分子からスタートしても、最後に勝つ分子は二二〇ほどの塩基からなる分子であることを発見しました。これは別に不思議なことではありません。自分を複製することだけが目的なら、短い方が得です。もっと短い分子が勝たないのはなぜかというと、あまり短いと酵素の反応する対象になりにくくなるからなのです。もっと驚くべきことに、ほかの研究室で同じ実験をしたら、勝った分子はスピーゲルマンの分子とまったく同一か、そうでなくても極めてよく似ていたのです。
これまでの議論をまとめる必要があります。有機化合物やポリマーの起源という、純科学的な問題は一九五〇年代のミラーの実験以降着実に解決への道を歩んでいます。遺伝的な複製の方ははるかに難問です。酵素なしで核酸の複製は、起ることは起りますが精度は低いのです。ここに基本的な難問が生じます。それは、高いエラー率の下ではたぶん百塩基以下のきわめて短い分子しか自然淘汰の下で維持されないでしょう。それなのに、複製の精度を上げることのできる酵素をつくるためにはずっと長い分子が必要なのです。この困難をのりきる一つの道は、複製能力をもついくつかの分子が超サイクルを構成することです。このような超サイクルは袋のようなものにとじこめられることによってだけ、進化できるのです。オパーリンやフォックスの実験でそのような構造(コアセルヴェートとミクロスフェア)が存在し得ただろうこと、その中に反応性を持つ分子を濃縮したであろうこと、そしてその成長と分裂は内部の超サイクルの合成活性によって促進されたであろうことが示されました。もしそうなら自然淘汰によってより複雑なものが生じることが可能です。
タンパク質と核酸との関係の起源
核酸は複製できますが、酵素活性はまったくありません。化学的には何も重要なことはできないのです。タンパク質はすばらしい触媒ですが複製できません。生命はこの二つを結び合わせることによって成り立っているのです。
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