星野道夫の旅
ひと月ほど前だったか。たまたま時間が空いて、高円寺駅前の本屋にふらりと立ち寄った。文禄堂といって荻窪と高円寺に店舗がある本屋らしいが、なかなか個性的な本屋だ。ぜひまた今度立ち寄りたいと思わせる本屋だった。私は本屋に行けばとりあえず、雑誌コーナーへ行き「岳人」と「山と渓谷」にかならず目を通すのだが、この日もやはり雑誌コーナーへ足が伸びた。しかし、そこで私はホッキョクグマの寝顔を写した写真に目を奪われ、思わずその雑誌を手に取った。それは、BRUTUSの星野道夫特集号だった。
恥ずかしながら、この時初めて星野道夫を知った。きっと星野道夫の撮影した写真は幾度となく目にしてきただろうに、当人のことは知らずにいたのだ。だが、ここで知ることができて良かったと思うべきか。パラパラとページをめくってみると、自分と近い人間だ、と誠に僭越ながら感じた。出身大学が同じであったことに親しみを覚えたこともあるが、自分もこの人のように生きたらきっと豊かな人生になるだろうと思わずにはいられないのだ(若くして亡くなってしまうことは抜きにして…)。今年は亡くなって20年にあたる年らしい。星野道夫のこと知ったタイミングは偶然だったが、どんな形にせよきっと近いうちに知ることになっただろう。
彼の著作の一つである「旅をする木」。これはそのうち必ず読もうと思って、メモをしておいた。この日はこれで終わり、しばらく星野道夫のことは忘れて過ごしていた。
そしてつい先日、友人に誘われて見に行ったルイヴィトンのギャラリー(http://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/)でピエール・ユイグの作品に出会った。それは、南極で撮影された映像作品だった。それを見た影響で、私の”南極行きたい熱”が再燃するとともに、星野道夫のことを思い出した。11月はイベントやら学会が控えている、そんな忙しい時期ほどこういう横道に逸れてしまいがちなのだが、敢えてどっぷり星野道夫に浸かってみることにした。
まずは、図書館で「旅をする木」を借りてきた。読んでみると、星野道夫のエッセイである。日記に近いがとても文章がうまい。読みやすいながら、優しさと力強さのある文章だ。より一層、星野道夫に興味が湧く。本人のことをもっと知りたくなって、インターネットで検索してみる。熊に襲われて亡くなったのは1996年のこと。当時人気だったTV番組「どうぶつ奇想天外!」の取材でカムチャツカへ行った時のことであった。小学生だった私も毎週欠かさず見ていた番組であっただけに非常に驚いた。そして、この「旅をする木」の文章を書いているのは、1994年ごろとなっている。亡くなるほんの数年前に記したもの。しかもこの本の冒頭には、自身の子供が生まれたことについても触れられているのだ。私はなんだか言いようのない寂しさに襲われてしまった。
そんな寂しさはさておき、星野道夫の写真展が開催されているという情報を目にする。やはり、亡くなって20年という年なだけあって星野道夫に触れる機会が豊富だ。横浜の高島屋でやっているということで、思い立ったが吉日、観に行くことにした。
平日の夕方、デパートの催事場での展示にしては来場者は多い。また、意外と若者も見に来ている。星野の暮らしたアラスカのみならず、カナダやロシアといった極北の自然や動物、さらにネイティブアメリカンを写した写真が迎えてくれた。アザラシやホッキョクギツネの子に癒され、大きく引き伸ばされたカリブーやグリズリーの写真はアラスカの大地で彼らと対峙しているような、そんな錯覚にさせてくれた。そんな動物たちの写真に混じり、印象に残っているのがなにやら屈んでいるネイティブアメリカンの老女を写したものだ。説明には「ねずみの巣穴にあるエスキモーポテトを取る代わりにドライフィッシュを置くおばあさん」とある。なんという自然観だろうか。この一枚の写真に彼らの自然に対する考え方が凝縮されているようだ。生きるということは、ほかの生命の力をもらいながら営まれるもの。そんなネイティブアメリカンたちの自然に対する謙虚な姿勢を体現する行動だ。
非常にいい写真展だった。これからも星野道夫の写真や文章にもっと触れていきたい。
恥ずかしながら、この時初めて星野道夫を知った。きっと星野道夫の撮影した写真は幾度となく目にしてきただろうに、当人のことは知らずにいたのだ。だが、ここで知ることができて良かったと思うべきか。パラパラとページをめくってみると、自分と近い人間だ、と誠に僭越ながら感じた。出身大学が同じであったことに親しみを覚えたこともあるが、自分もこの人のように生きたらきっと豊かな人生になるだろうと思わずにはいられないのだ(若くして亡くなってしまうことは抜きにして…)。今年は亡くなって20年にあたる年らしい。星野道夫のこと知ったタイミングは偶然だったが、どんな形にせよきっと近いうちに知ることになっただろう。
彼の著作の一つである「旅をする木」。これはそのうち必ず読もうと思って、メモをしておいた。この日はこれで終わり、しばらく星野道夫のことは忘れて過ごしていた。
そしてつい先日、友人に誘われて見に行ったルイヴィトンのギャラリー(http://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/)でピエール・ユイグの作品に出会った。それは、南極で撮影された映像作品だった。それを見た影響で、私の”南極行きたい熱”が再燃するとともに、星野道夫のことを思い出した。11月はイベントやら学会が控えている、そんな忙しい時期ほどこういう横道に逸れてしまいがちなのだが、敢えてどっぷり星野道夫に浸かってみることにした。
まずは、図書館で「旅をする木」を借りてきた。読んでみると、星野道夫のエッセイである。日記に近いがとても文章がうまい。読みやすいながら、優しさと力強さのある文章だ。より一層、星野道夫に興味が湧く。本人のことをもっと知りたくなって、インターネットで検索してみる。熊に襲われて亡くなったのは1996年のこと。当時人気だったTV番組「どうぶつ奇想天外!」の取材でカムチャツカへ行った時のことであった。小学生だった私も毎週欠かさず見ていた番組であっただけに非常に驚いた。そして、この「旅をする木」の文章を書いているのは、1994年ごろとなっている。亡くなるほんの数年前に記したもの。しかもこの本の冒頭には、自身の子供が生まれたことについても触れられているのだ。私はなんだか言いようのない寂しさに襲われてしまった。
そんな寂しさはさておき、星野道夫の写真展が開催されているという情報を目にする。やはり、亡くなって20年という年なだけあって星野道夫に触れる機会が豊富だ。横浜の高島屋でやっているということで、思い立ったが吉日、観に行くことにした。
平日の夕方、デパートの催事場での展示にしては来場者は多い。また、意外と若者も見に来ている。星野の暮らしたアラスカのみならず、カナダやロシアといった極北の自然や動物、さらにネイティブアメリカンを写した写真が迎えてくれた。アザラシやホッキョクギツネの子に癒され、大きく引き伸ばされたカリブーやグリズリーの写真はアラスカの大地で彼らと対峙しているような、そんな錯覚にさせてくれた。そんな動物たちの写真に混じり、印象に残っているのがなにやら屈んでいるネイティブアメリカンの老女を写したものだ。説明には「ねずみの巣穴にあるエスキモーポテトを取る代わりにドライフィッシュを置くおばあさん」とある。なんという自然観だろうか。この一枚の写真に彼らの自然に対する考え方が凝縮されているようだ。生きるということは、ほかの生命の力をもらいながら営まれるもの。そんなネイティブアメリカンたちの自然に対する謙虚な姿勢を体現する行動だ。
非常にいい写真展だった。これからも星野道夫の写真や文章にもっと触れていきたい。
写真展のパンフレットと購入したポストカードと文庫本 |
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パンフレット裏面 |
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