読んだ本メモ⑯ 「ノーザンライツ」 星野道夫著 新潮文庫
アラスカを拠点に活躍した写真家、星野道夫の遺作である「ノーザンライツ」。
アラスカの地で、アラスカの自然と文化を守るために、活躍した人々がいた。
アラスカに核実験場を作るという計画がかつて持ち上がっていた。しかし、核実験場の建設による、アラスカの自然や野生動物たち、さらにはネイティブアメリカンの生活への影響は軽視されていた。いまほど、自然保護への関心が低かった時代。動き始めた国家の一大プロジェクトを中止させるには、どれほどの苦労と信念が必要だっただろうか。
アラスカを、そしてそこに生きた人々を敬愛する星野道夫の目を通して見るアラスカの歴史は、非常に感情豊かで、人と人のつながりが時代を作っていることを感じさせてくれる。
p 45
p 212

アラスカの地で、アラスカの自然と文化を守るために、活躍した人々がいた。
アラスカに核実験場を作るという計画がかつて持ち上がっていた。しかし、核実験場の建設による、アラスカの自然や野生動物たち、さらにはネイティブアメリカンの生活への影響は軽視されていた。いまほど、自然保護への関心が低かった時代。動き始めた国家の一大プロジェクトを中止させるには、どれほどの苦労と信念が必要だっただろうか。
アラスカを、そしてそこに生きた人々を敬愛する星野道夫の目を通して見るアラスカの歴史は、非常に感情豊かで、人と人のつながりが時代を作っていることを感じさせてくれる。
p 45
アラスカは厳冬期に入っていた。フェアバンクスはマイナス四〇度の日々が続いている。アラスカでも一番気温が下がるこの町の冬がぼくは好きだった。
山から下りてきたムースが、バチン、バチンと水気のないヤナギの小枝をついばみながら、家の近くの森の中でじっと寒気に耐えている。アカリスが、凍りついたトウヒの木のてっぺんで、冬の日の短い太陽を浴びている。マイナス四〇度の大気の中、チッ、チッとさえずりながら飛んでくるコガラやベニヒワ。そんな苛酷な冬の風景に魅かれるのは、自然という鏡に映しだされた、自分自身の生命の姿がはっきり見えてくるからだろう。それは日々の暮らしの中で忘れている、生きていることの脆さであり、いとおしさでもある。
この文章は非常に好きだ。凍てつく寒さの中でも、豊かな生命の息遣いが聞こえて来る。そして、最後の文章。ぼくが冬の山に魅かれるのも、まったく同じことだ。日常で希薄になっている生命の輪郭がはっきりするのを感じられるのだ。
p 212
ぼくはその時、「間に合った」という想いに満たされていたのだと思う。あらゆる伝説が消え、あらゆる神秘が目の前に引きずりだされた今、私たちにはもう新たな物語があまり残されていない。人間の気配がない、誰にも見られていない、太古の昔から静かに流れてきた壮大な自然のリズム。もう二十一世紀を迎えようとしているのに、時の流れに取り残されているかもしれぬそんな風景を遥かな極北の地に探していたのだった。
ぼくもそんなことを感じられる自然に出会いたい。
p 221
ぼくは”遠い自然”という言葉をずっと考えてきた。北極圏野生生物保護区を油田開発のために開放すべきだと主張するある政治家の言ったことが忘れられなかったからだ。つまり、アラスカ北極圏の地の果てに一体誰が行けるのか、カリブーの季節移動を一体何人の人が見ることができるのか、そんな土地を自然保護のためになぜ守らなければならないのかという話だった。そして彼が言ったほとんどのことは正しかった。アラスカ北極圏の厳しい自然は観光客を寄せつけることはないし、壮大なカリブーの旅を見る人もいない。人々が利用できない土地なら、たとえどれだけその自然が貴重であろうと、資源開発のために使うべきではないか。
が、私たちが日々関わる身近な自然の大切さとともに、なかなか見ることの出来ない、きっと一生行くことが出来ない遠い自然の大切さを思うのだ。そこにまだ残っているということだけで心を豊かにさせる、私たちの想像力と関係がある意識の中の内なる自然である。
人間の持つ意識が、他の動物と大きく異なる点は、過去や未来に意識を向けることができる点だ。それは、人間が言語を通して過去や遠くにいる人とも思想等を共有することができると関係していると思うのだが、その意識は、言語のみならず五感を通して得られる体験にも同様である。だからこそ、壮大な自然から悠久の時を感じ、太古の時に想いを馳せ、何百年何万年後にも続くことを想像できるのだ。
人間は地球において特別な存在でなく、他の生物の生存を脅かす権利はない、というような意見はよく聞くが、人間が他の生物と大きく異なることはまぎれもない事実だとぼくは思う。一つの生物種が他の生物の生存を脅かすことが、正直どこまで自然選択のうちでどこからそれを逸脱しているのかを議論することにあまり意味はないと思う。それよりも、人間が他の生物種の存続や地球環境の変動に影響を与えるほどの力を持つ一方で、人間の持つ意識の特異さが、現代に生きる我々のみならず、過去や未来そして異なる生物種にまでも、想像力を働かせることを可能にしてくれることが重要である。人間の創造力は、地球を破壊する力を持つ一方で、その想像力によって、遠い自然の貴重さを感じることができるのだから。
p 226
十二月のフェアバンクスの夜明けは遠い、地平線にわずかに顔を見せるだけの太陽が、じれったくなるほどなかなか昇って来ない。が、長い長い夜をへて現れる太陽に、人々は生かされているという温もりを心に感じ、忘れていた人間の脆さに気づかされる。太陽が沈まぬ夏の白夜より、暗黒の冬にどこか魅かれるのは、私たちの心に、太陽を慈しむという遠い記憶が戻ってくるからだろう。
この文章を読んで、「しあわせのうた」を思い出した。「東に住む人は幸せ〜」というあの歌だ。まさに太陽を慈しむ心をたたえているそんなうただ。子どもの頃は、北に住む人が全く幸せに思えなかった(「北に住む人はしあわせ、春を迎えるよろこびを誰より強く感じることができるから」)。しかし、今ならわかる。極夜の暗黒を知らなくても、山の上で、日の出を待ったことのある人なら誰でも、太陽を慈しむ遠い記憶が戻る感覚を知っている。
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