投稿

2月, 2017の投稿を表示しています

八ヶ岳・天狗岳 雪山日帰り登山

イメージ
山域:八ヶ岳 天狗岳 日程:2017年2月19日(前夜泊+日帰り) パーティ:5人 装備:ピッケル、アイゼン カメラ:PENTAX K-30 行程:渋の湯(8:45)ー黒百合ヒュッテ(11:00〜11:50)ー東天狗岳山頂(13:30)ー黒百合ヒュッテ(14:30)ー渋の湯(15:30) 2月18日 19時、武蔵小杉駅を出発。 小型車に5人でぎゅうぎゅう。多摩川沿いを走り、いつも通り府中スマートで中央道に乗る。そして、いつも通り談合坂SAに寄って、今日もスタ丼を食べる。 今夜は、こぶちざわ道の駅を寝床とする予定。23時ごろ道の駅につく。雪がちらついており、うっすら積もっている。ノーマルタイヤなので、道の駅のちょっとした坂でスリップ! 駐車場には先客が。キャンピングカーもあるし、テント張っている人もいる。雪だけでなく風も吹いてきた。明日、山は荒れるかなぁ?昨日の金曜は全国的に暖かくなり、東京では最高気温が20℃近くなった。雪崩も心配だ。 ぼくらもテントを張り、明日に備え寝ることにする。 2月19日 朝5時。 なかなか冷え込んだせいで、十分に睡眠をとれなかった。 まずは登山口である渋の湯まで一時間ほどのドライブ。車にチェーンを装着し出発! 急なカーブでは後輪がすべるが、順調に登っていく。渋の湯に近づいてくると、徐々に路面の雪が多くなってきた。すると前から車がバックしてきた!!僕らの後ろにはもう一台。一言いってほしい。無言でバックされても困る。道幅が広いところで追い越させてもらう。が、こちらはノーマルタイヤ、思うように進まない。なんとか抜けたけども、なんか前輪がカタカタ音がなっている!!しかし一見すると特に問題なさそう。。。とりあえず、もうすぐ渋の湯なので、そのまま駐車場まで向かう。 駐車し、よくみると両輪ともチェーンが一部ちぎれているではないか!!どうしよう… 例えば、 私たち)渋の湯の旅館に、チェーン売ってないかなぁ〜 渋の湯)売ってないよ。ノーマルタイヤなんかで来るんじゃないよ。常識知らず! 私たち)すみません… いろいろ考えたものの、 どうにか、チェーンを手に入れたとしても、またトラブルが起きる可能性もある。 安全策をとりましょう。 JAFを呼ぶ。という結論に。 JAFは後で呼ぶとして、とりあえず天狗岳登ろ...

N・S・ハルシャ展 チャーミングな旅 六本木・森美術館

イメージ
現代アートって作家のことを知らないことがほとんどで(私の場合)、 なかなか見に行くきっかけがない。 今回も本当は違う目的で六本木に来てて、たまたま見たのが、 インドで活躍するアーティスト、N・S・ハルシャの企画展だった。 森美術館で開催されている現代アートの企画展って、 実は思い返すとどれも面白かった。 すごく見ごたえがあって、少し高めの値段設定だけど満足感がある。 といっても、やはりアンディ・ウォーホルとか村上隆とか、 作家も著名で、話題になってる企画展に行ってることがこれまではほとんど。 今回は本当にたまたま、行くほんの10分前までこの企画展のことを(明示的には)知らなかったくらい。( 潜在的 には知ってたと思う、笑) アートセンターの方で開催されている「マリーアントワネット展」はなんと80分待ち。 行列を横目に、ハルシャ展へ行くと、来場者はぱらぱらといる程度。 じっくり鑑賞できてよかった。気づいたら3時間も経っていたくらい時間を忘れて楽しめた。 ハルシャはインド南部のマイスール生まれで、今もマイスールを拠点に活動しているのだが、 マイスールなんてもちろん知らなかったし、インドで知っているところというとデリー、ムンバイ、バンガロールといった大都市ばかり。インドの田舎?(マイスールは歴史的には古い町で、中心地はそれなりに栄えていそうだけれど)の様子など知ることももちろんなかった。 そんななか、唐突に私の頭に飛び込んできた絵や情報はとても新鮮だった。 伝統と変革、農業とビジネス、資本主義、国家、大衆、、、 そういったものがキーワードになった作品たちが多く、マイスールという町が描かれているのに、インドという国、さらには世界についても問いかけをしているそんな印象がある。 また、多言語、ヒンディー教などの文化的背景も感じさせる。 この企画展でインドの文化も学べてしまうのだ。 ちなみに、ガネーシャ(象頭の神)はシヴァの息子らしい。。。似てなさすぎる。 展示の様子 このフロアの中心に置かれたテーブルにはマイスールの地元紙が並んでいる。 (会期中届くようになっているらしい) N・S・ハルシャ《ここに演説をしに来て》(部分)(2008...

読んだ本メモ⑰ 「サブリミナル・マインド 潜在的人間観のゆくえ」 下條信輔著 中公新書

イメージ
 今回の講義の最終的なメッセージとして大事なことは、次のことです。つまり人の心が顕在的・明証的・自覚的・意識的な過程だけでなく、潜在的・暗黙的・無自覚的・無意識的な過程にも強く依存しているということ。さらに忘れてならないのは、動物の進化の過程を見ても人の発達の過程を見ても、暗黙知がつねに先立ち、明証的な知の基礎となっていることです。 と本書の冒頭にて書かれている。 タイトルの「サブリミナル」は日本語で「意識下の」という意味。 ヒトの脳活動のなかで、意識にのぼるものはほんの一部だけ。まさに氷山の一角。 いや氷山の場合は約一割が見えるので(水面上)、氷山のそれ以上に見えない部分は広大だ。 意識的な思考はしばしば言語を伴う。 しかし、だからといって言語を持たない動物に思考がないわけではないだろう。人間が成長すると幼児期の記憶をなくしてしまうのは、言語を介した思考か否かというところに関わっている。 赤ん坊のころには、暗黙的な学習(手続き記憶)をしており、成長とともに明証化(宣言的記憶)が可能になる。これが、筆者のいう「暗黙知がつねに先立ち、明証的な知の基礎となっている」という意味だ。 では、大人になった我々は常に明証的・意識的に思考・行動しているのだろうか。 本書は、そればかりではない「潜在的人間観」について語ってくれる。 どんなに好きでも、職業にして報酬をもらうようになるとつまらなくなる とよく言われている。このことは、「ほうびの隠れたコスト」として実験的に証明されている(レッパーとニスベット、1978年)。「 絵をかくのが好きなこどもに、あらかじめ報酬を約束して絵を描かせると、自発的には絵を描かなくなり、絵の質も落ちてしまう  (中略)  もともと面白い仕事でも、過度の外的報酬によってかえってつまらなくなるというわけです。言い替えれば、外的正当化のせいで、本来存在していたはずの内発的動機づけが損なわれたのです。 」ごほうびというものは、そのものの本来の面白さを損なうというコストが付きまとうというわけだ。 また、「コスト」が内容を面白くする場合もある。「入会儀礼効果」(アロンソンとミルズ、1959年)がその好例だ。「 大学の部や同好会など何でもよいのですが、同好の士が自発的に集まる会では、入会のために審査やテストをやる場合がある...