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8月, 2014の投稿を表示しています

読んだ本メモ③ 「エンデュアランス号漂流記」アーネスト・シャクルトン

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アーネスト・シャクルトン著、木村義昌/谷口善也訳「エンデュアランス号漂流記」を読みました。 著者のアーネスト・シャクルトン氏は1874年生まれ、英国の極地探検家。 1911年、アムンゼン率いるノルウェー隊が、スコット率いるイギリス隊にわずかに先んじて、南極点への到達を成功させたため、南極大陸探検における一大目標は、海から海への横断を成し遂げることとなりました。 時は第一次世界大戦のさなか、シャクルトン氏は隊長として、南極大陸横断の探検を成功させるべく出発します。しかし、厳しいウェッデル海の浮氷に阻まれ、大陸に上陸することすらできず、漂流。さらには、エンデュアランス号を失い浮氷での生活を強いられ、救援を求めるためにボートで厳しい南太平洋を横断したりと、筆舌に尽くしがたい苦労をします。2年近くもの漂流生活の末に、船員全員が一人も欠けることなく、生還することができたのは奇跡的であり、隊長のシャクルトンの賢明な判断と隊員の優秀さによるものでしょう。 ここからは、私の個人的な意見と感想です。 本作品は、シャクルトン氏や隊員の日誌をもとにまとめられた航海記録であり、その詳細がよくわかります。まず、目を見張るのが装備や道具が現代といかに異なっているかという点です。約100年前ですので、よくよく考えてみれば当然ですが、港を離れれば基地との通信はできませんし、船は木造の帆船です。寝袋はトナカイの毛皮製、着るものも毛皮やウール製だったでしょう、現代の化繊と違い、保温力も劣り、乾きにくく、重たいはずです。そんな装備で、零下30℃にもなる南極大陸周辺の海で生活するということがどれほど過酷か、想像を絶します。 私は雪山登山をしますが、装備の質が格段に向上した現代、しかも南極ほど厳しい気象条件ではない日本ですら、自然の厳しさを幾度となく実感してきました。冬期の登山で気を使うこととして、衣服を濡らさないということがあります。濡れてしまうと凍りついてしまい、そんなものを着ていては凍傷を負いかねません。しかし、海上では濡らさないというのはかなり難しいはず、というかまず無理でしょう。本作の中でも、衣服を濡らしてしまい完璧に乾くまで2週間かかったというような記述がありました。隊員は多かれ少なかれ凍傷を負っていたでしょうし、かなり衰弱していた隊員もいたようです。 隊員全員28人を...

見た映画メモ① 「127時間」

「127時間」 という映画を見ました。 2011年に公開されたダニー・ボイル監督の作品。 登山家のアーロン・ラルストンの自伝『奇跡の6日間』が原作です。 主人公の職業はエンジニア(元?)、週末は登山を楽しむ青年。 キャニオニング中に足を滑らせ、一緒に落ちた岩に腕を挟まれてしまう。 引き抜くことも、岩を削ることも失敗し、行先を家族や友人に伝えていなかったため救助がくることも見込めない。 わずかな水と食料で、数日生き抜くも死を覚悟し始める… 最終的に彼は腕を切り落とし、何とか生還するのだが、 そのシーンは生々しく、衝撃的だ。 主人公の年齢やその他もろもろがほぼ自分と同じなので、 わが身のことのように感じます。 行先は必ず、家族に伝える これ大事です。 最近、面倒でおろそかにしがちでしたが、再認識しました。

岡本太郎の目玉展

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岡本太郎記念館に行ってきました。 場所は表参道駅から徒歩10分ほど。 もともとは岡本太郎氏の自宅兼アトリエの建物でしたが、 今は記念館として、作品の展示やカフェとして利用されています。 岡本太郎記念館 では 現在、岡本太郎の目玉展という展示が行われています。 岡本太郎がよく画題として描いた「顔」そして「目」、作品からはとてもエネルギーを感じられます。 目玉展と連動して『目玉市』も開催! かなりセンスのいいグッズがいっぱい。 でも結構売り切れ続出… また、以前国立近代美術館で岡本太郎展を開催していた際に、人気を博したガチャガチャがリニューアルバージョンで復活していた!! 思わず一つがちゃりました。 目玉展は9月28日まで開催しています。

読んだ本メモ② 「方法序説」デカルト

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「方法序説」を読みました。 かの有名な17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルトの著作。 デカルトと言えば、「われ思う故に、我あり」という一文はあまりに有名。 これは「方法序説」で記述されている「コギト・エルゴ・スム」というラテン語を日本語に訳したもの。 デカルトは哲学者として知られていますが、 現在のおよそ全ての学問の方向性を示した偉大な思想家です。 彼は、当時の学問と言われるものの全てを学んだ上で、 それらに疑問を投げかけ、ゼロから信じられるものを積み上げていきました。 デカルトの生きた17世紀の西洋では、新しい哲学や科学は厳しく断罪されていました。 ガリレイ断罪は特に有名なものです。 デカルトも「方法序説」の中で、そのことに触れており、「世界論」等の著作を書き上げながらも、生きているうちには発表できないことを語っています。 この著作には、現代の科学や常識からは外れる内容もありますが、 六部構成のうち第四部は特に、デカルトの思想を知るには重要でしょう。 全てを疑ったデカルトが、たどり着いた「コギト・エルゴ・スム」から 「神の存在証明」に至るまでの思索を知ることができます。 「神の存在証明」というと少しオカルトなものを想像してしまいますが、 ここで言う「神」とは、髭もじゃでローブを着たような神様がいるという話ではなく、 完全性を持つ存在と語られています。 デカルトの「神の存在証明」は後世の哲学者によって否定されていますし、 機械論的思考によって発展してきた近代科学も、学術思想の転換を迎えようとしています。 現代のデカルトは、どのように今後の学問の行く末を指し示すのでしょうか。

読んだ本メモ 「動的平衡」福岡伸一

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読んだ本について備忘録 タイトルは「動的平衡 Dynamic Equilibrium」  「生命はなぜそこに宿るのか」という副題がつけられています。 著者は分子生物学者の福岡伸一さん。 一般向けの著作も多数、「生物と無生物のあいだ」は有名。 「動的平衡」とは? 昨日の私と、今日の私は同じ私です。 これは紛れもない事実ですが、ミクロな視点で見るとそうとも言えなくなってきます。 私たちの体を構成する分子は、日々分解され作り替えられているからです。 髪や爪が伸びるのと同じように、体すべてが作り替られています。 「私たちの身体は分子的な実体としては、数ヵ月前の自分とは全く別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとして私たちを作り出し、その瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。」 通りすぎて行く分子の淀みが私たちの身体であり、その流れが生きているということ。 こうした流れの中で一定の状態を保っていることが「動的平衡」と呼ばれています。 生命には「魂」があると考えている人は現代でも多くいらっしゃると思います。 古代ギリシャの時代では、「プネウマ」が生物を動かしているという生気論が唱えられていました。 一方で、ガリレオやデカルトの時代から自然科学は大きく飛躍を遂げます。それは「機械論」的思考によるものです。現代の生物学や生理学においても生体や生体を構成する組織を「機械」として捉えることで多くの発見がなされ、多くの病気が解明されてきました。 とはいえ、やはり生物はロボットではありません。臓器や四肢を入れ替えれば、必ずよくなるとは限らないと思います。それは、「生きている」ということは動的平衡状態の「流れ」に相当するということが原因かもしれません。