読んだ本メモ⑤ 「生物から見た世界」ユスキュル/クリサート著、日高敏隆・羽田節子訳

甲虫の羽音とチョウの舞う、花咲く野原へ出かけよう。生物たちが独自の知覚と行動で作り出す<環世界>の多様さ。この本は動物の感覚から知覚へ、行動への作用を探り、生き物の世界像を知る旅にいざなう。行動は刺激に対する物理反応ではなく、環世界あってのものだと唱えた最初の人ユスキュルの、今なお新鮮な科学の古典。


岩波文庫のとびらにはそう紹介されています。
<環世界>とは聞きなれない言葉ですが、これは客観的な環境ではなく、主観的な環境のこと。著者のユスキュルはそれぞれの主体が環境の中の諸物に意味を与えて作り上げている世界をドイツ語でUmweltと呼びました。それを本書では環世界という訳語を与えています。

われわれは、この世界をあるがままの姿で、捉えているのでしょうか?私たち人間は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚という五感を通して世界を知覚しています。視覚で捉えられるのは、可視光線と呼ばれる帯域の光線のみで、紫外線や赤外線は目で見ることはできません。聴覚にも可聴範囲があります。同様に、各々の感覚には限界があります。そして、生物によっては、感覚の機能からその特性まで、実に様々です。本書でも、

われわれはともすれば、人間以外の主体とその環世界との事物との関係が、われわれ人間と人間世界の事物とを結びつけている関係と同じ空間、同じ時間に生じるという幻想にとらわれがちである。この幻想は、世界は一つしかなく、そこにあらゆる生物がつめこまれている、という信念によって培われている。すべての生物には同じ空間、同じ時間しかないはずだという一般に抱かれている確信はここから生まれる。

と書かれているように、空間や時間は生物にとって等しく存在するものではないことが指摘されています。これは、感覚器官の性能には生物種によって異なるということが原因の一つと考えれれます。視覚について考えてみると、どれだけの画質でものを捉えているのか(空間分解能)、どれだけ速いものを見れるのか(時間分解能)によって、空間と時間は決定されていると考えられます。当然、小さすぎたり、速すぎたりすることで目に見えないものがあるわけです。そういったものは人間の環世界では存在しないものとなるわけです。


本書では様々な角度から、生物によって環世界がいかに異なっているかを教えてくれます。種によって、時には同種の個体によってさえ異なる環世界。原著は1933年に出版されました。今読んでもなお新鮮であり、生物学の奥深さを教えてくれます。


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