読んだ本メモ④ 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J.D.Salinger著、村上春樹訳

結構前になると思いますが、村上春樹が新訳を出したということで話題になっていました。
今更ながら、読んでみました。


そもそも、本作は「ライ麦畑でつかまえて」という邦題で出版されていたということは、多くの方がご存知かと思います。私は、「ライ麦畑でつかまえて」を読んだことはなかったのですが、そのタイトルから勝手に恋愛小説だと思い込んでいました。だけど、実際は高校を退学になった16歳のホールデンが打ち明け話を語るというもの。
「ライ麦畑でつかまえて」というのは、実に魅力的なタイトルだけど、意訳しすぎだし、村上春樹がタイトルを原著のままで、新訳を出版したことに納得します。


主人公のホールデンは、もう子供ではないが、大人にもなりきれていないそんな16歳。頭は悪くないみたいだけど、勉強なんてする気はない。世の中のもの、すべてに難癖をつけて、くだらないと周りの人間を軽蔑している、そんな少年です。将来何になりたいかと妹に尋ねられた彼はこう言うのである。

「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、ぼくはただそういうものになりたいんだ。」

この作品は、ホールデンが僕らに打ち明けるように、語り続けるという構成になってますが、半分くらいまで読み進んだころ、私は徐々にホールデンにイライラしてきてしまった。周りにケチばっかつけて、自分は知的ぶっていて。
そこで、実際にこういう少年と出会ったら、どうするか考えてみることにしました。
救いようのない奴だと、話を切り上げることもできる。しかし、どうしようもない自分の話を誰かに聞いてほしいときもある、ここは我慢して聞いてやろうか。とそんな気に不思議となってくる。

かなり好人物も登場する、主人公の恩師というべきか、ミスター・アントリーニである。彼はホールデンに、ある精神分析学者が書いたという一文を書きつけて渡すのである。

「彼はこう記している。『未熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることだ。』」
先生は身を乗り出すようにして、それを僕に渡した。


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