シンポジウムで聞いた話あれこれ

先日、神保町の一橋講堂で開催されていた包括脳ネットワーク・冬のシンポジウムで話を聞いてきました。



まず、研究以外のところでの収穫でいうと…
アウトリーチ活動やサイエンスコミュニケーションなどについて、科学者がどのように社会的役割を果たせばよいだろうか、という議題で様々な分野の専門家の話を聞くことが出来ました。

おおざっぱにまとめると、アウトリーチにせよ、サイエンスコミュニケーションにせよ、科学者の社会貢献のためには、以下の二つが課題と多くの方が感じているようです。

・異分野とのコミュニケーション
・それを可能にする土台作り

の二つです。



一般的に、チーム内の人材の多様性が増すほど、平均した成果は落ちる傾向にあるそうです。確かに、おんなじ分野の人ばかりで集まっていたほうが、みんな思考回路が似ているわけだからスムーズに仕事は進むでしょう(そこそこの成果が出やすい!!)。しかし、多様性が増すほどに、大きなイノベーションを起こす可能性は増えていく!(だが失敗も多い!)
おんなじような人たちでは、ドツボにはまってしまうところも、違う視点・違うバックグラウンドを持った人たちが集まれば、break throughできる!ということです。

ということで今、ネットワーク型の研究開発が必要になってきている!そうです。

研究成果が社会で実際に広く使われるようになることを”社会実装”というんですが、社会実装のためには、論文や特許だけでなく、薬事承認やビジネスとして成り立つか等の多くの課題をクリアしなくてはいけません。社会実装を視野に入れた研究開発には、ネットワーク型の研究開発が必要なのです。


製薬でも似たようなことが昨今の課題だそうです。
昔は、製薬というと低分子医薬が主流でした。低分子医薬の開発には少数の超優秀なケミストが必要とされる時代でした。その後、抗体医薬の時代になると、今度はバイオテクノロジーが必要に。そして最近は中分子医薬(ペプチドや核酸など)、さらには細胞・遺伝子治療、再生医療の時代へと移っていくでしょう。こうなっていくと、バイオテクノロジーはもちろんですが、そのうえ病態生理の全体像の理解も必要になってきます。さらには、ready madeからcustom madeへというもの重大なポイント。製薬企業は自前の開発基盤では限界があるそうだ。アカデミアとの連携も必要となってきますし、投資もさらに巨額になるため、グローバル化が必須になってきます。


と、ネットワーク型の研究開発だとか、企業とアカデミアとの連携だとか、そういった交流が今まで以上に必要になって来ている。しかし、それを可能とする土台はまだまだ不足している。国がやることなのか、企業がやるのか、大学がやるのか…



社会学者の山岸俊男先生という方がいらっしゃっていて、どこかで見たことある名前だなぁと思っていたら、「オッデセウスの鎖」の訳者でした!最近読んだ本の中でも一番気に入っていただけに、ちょっと感動。山岸先生の話、目からうろこだったので、それも書いときます。

「文系」の学問は大きく、人文学社会科学に分けられます(はじめて知りました!)。
人文学=人間が作り出したお話についての学問:文学、哲学、倫理学、宗教学、芸術学、文化人類学など
社会科学=人間が作り出した“しがらみ”についての学問:経済学、経営学、政治学、社会学

しがらみというのは、規範、法律、常識、インセンティブなど。人々に特定の行動を強いる(あるいは人々を特定の行動に導く)“しくみ”のこと。
特定の行動がどのような結果を生み出すか。なぜorどのように人々が互いの行動を縛りあっているのか。その結果何が生じるか。それらの疑問を解明するのが社会科学である。

ちなみに、歴史学、心理学、教育学、言語学はこの枠組みに入りきらないらしい(ここはよくわからない…)

誰も望まないまま、ある社会状態(不況、戦争、貧困など)が生まれてしまうのはなぜか?社会問題の多くは、誰一人望まないのに生じてしまう。
人間の行動は外部性(意図していない結果=副作用)を伴う。行動の外部性の蓄積が制度を生み出す。人間の行動や意思決定の「くせ」を明らかにして、その「くせ」の存在が制度を生み出す副作用にどのようにつながってくるかを明らかにすること、それが社会科学!


社会学と社会科学という言葉は、似ていて混用されがちですが、使い分けられるようにしよう!




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