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シンポジウムで聞いた話あれこれ

先日、神保町の一橋講堂で開催されていた包括脳ネットワーク・冬のシンポジウムで話を聞いてきました。 まず、研究以外のところでの収穫でいうと… アウトリーチ活動やサイエンスコミュニケーションなどについて、科学者がどのように社会的役割を果たせばよいだろうか、という議題で様々な分野の専門家の話を聞くことが出来ました。 おおざっぱにまとめると、アウトリーチにせよ、サイエンスコミュニケーションにせよ、科学者の社会貢献のためには、以下の二つが課題と多くの方が感じているようです。 ・異分野とのコミュニケーション ・それを可能にする土台作り の二つです。 一般的に、チーム内の人材の多様性が増すほど、平均した成果は落ちる傾向にあるそうです。確かに、おんなじ分野の人ばかりで集まっていたほうが、みんな思考回路が似ているわけだからスムーズに仕事は進むでしょう(そこそこの成果が出やすい!!)。しかし、多様性が増すほどに、大きなイノベーションを起こす可能性は増えていく!(だが失敗も多い!) おんなじような人たちでは、ドツボにはまってしまうところも、違う視点・違うバックグラウンドを持った人たちが集まれば、break throughできる!ということです。 ということで今、ネットワーク型の研究開発が必要になってきている!そうです。 研究成果が社会で実際に広く使われるようになることを”社会実装”というんですが、社会実装のためには、論文や特許だけでなく、薬事承認やビジネスとして成り立つか等の多くの課題をクリアしなくてはいけません。社会実装を視野に入れた研究開発には、ネットワーク型の研究開発が必要なのです。 製薬でも似たようなことが昨今の課題だそうです。 昔は、製薬というと低分子医薬が主流でした。低分子医薬の開発には少数の超優秀なケミストが必要とされる時代でした。その後、抗体医薬の時代になると、今度はバイオテクノロジーが必要に。そして最近は中分子医薬(ペプチドや核酸など)、さらには細胞・遺伝子治療、再生医療の時代へと移っていくでしょう。こうなっていくと、バイオテクノロジーはもちろんですが、そのうえ病態生理の全体像の理解も必要になってきます。さらには、ready madeからcustom madeへというもの重大なポイント。製薬企業は自前の開発基盤では限界が...

谷川岳西黒尾根 2015年12月12日

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今シーズン初の雪山として、谷川岳に行ってきました。 今年は雪がなかなか降らず、12月も半ばとなりましたが、ふもとは積雪ゼロ。 天神平もほぼなし。スキー場が開業できないという悲惨な事態です。 日程:12/12(土)前夜泊日帰り 行程:西黒尾根登山口9:00~ラクダの背11:00~トマノ耳12:30~天神平14:20 今回は、雪山初心者の後輩と二人。後輩は今まで、春の北横岳と木曽駒に連れてった。どっちもロープウェイ使っていたので、まともに登るのはほぼ初めて。 金曜の夜、満員の湘南新宿ラインに大荷物で乗り込む。電車を乗り継ぎ、水上駅に到着した。数年前に来た時とは見違えるほど駅舎がきれいになっていた。駅寝にぴったりのスペースもあり、とても快適に休むことが出来た。学生らしき四人組もいた。 翌朝7時ごろ目が覚める。この時期にしても寒くない。 西黒尾根中腹からの谷川岳 朝一のバスにのって谷川岳ロープウェイに向かう。電車で土合という選択肢もあるけど、あの階段を登ることを考えると、水上からバスが断然賢い選択だろう。 ロープウェイから少し歩くと、西黒尾根登山口に着く。ぼくら以外にも数名の登山者がいる。登山口付近にはまったく雪が見当たらない。天気はとても良く雲一つない晴天。太陽が昇るにしたがって気温もあがり、シャツ一枚でもいいくらい。 頂上直下 ギアダウン中の後輩 例年なら、登山口にもどっさり雪が積もっているのだが、今年は1500m付近になってようやく踏みしめることの出来る積雪量だ。順調に高度を稼ぎ11時頃にはラクダの背に到着した。ここでアイゼンを装着。雪がついていないので鎖場も特に不安はない。 その後はやせ尾根、急登と続く。ここでは適度に雪がついているおかげでむしろ歩きやすい。 歩きやすいのと、天気もいいのとで、テンションが上がり、思わず歩が進む。逆に雪が出てきて後輩はギアダウン… 気がつくとあいだがかなり空いている! 頂上から トマノ耳についたのは12:30、3時間半で登ってしまった。頂上および肩の小屋付近では多くの登山者と出会った。頂上付近で半袖の人がいてさすがに驚いた!さすがにそれは寒いでしょ!! 頂上についたもののかなり疲弊している後輩。ちと飛ばしすぎたことを反省する。肩の小屋でしばらく休憩して、ようやく元気に...

ニューロンの数に反比例する必要睡眠時間 -More neurons mean less need for sleep-

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ニューロンの数に反比例する必要睡眠時間 -More neurons mean less need for sleep- サイエンス誌の記事にこんなのがありました。他誌からのピックアップ記事です。 http://www.sciencemag.org/content/350/6264/1052.1.full?et_rid=51968542&et_cid=131075 睡眠というのは動物にとって必要不可欠です。しかし、種によって一日の必要睡眠時間は大きく異なっています。コウモリは一日に20時間も眠るのに対して、ゾウやキリンは3,4時間ほどしか眠らないことが知られています (Zepelin & Rechtschaffen, Brain Behav. Evol 1974; Cappelini et al., Evolution , 2008) 。ネコは12,13時間、イヌで10時間程度、ヒトは7,8時間でしょうから哺乳類の体のサイズと睡眠時間にはどうやら関連がありそうですね。 体が大きい動物ほどより多くのエネルギーを必要とするため、食事により長く時間をかける必要があります。そのため、大型の動物ほど活動時間を増やす必要があり、その反面睡眠時間は減るというのが一般的な解釈です。低カロリーの植物を主食とする草食動物ほど、その傾向が強いようです(ゾウやキリンの睡眠時間が極度に少ない理由)。しかし、この説明では片手落ちです。自然選択の結果、なぜそのように進化したのか説明が不十分ですし、メカニズムについてはなんら言及できていません。 そもそも、睡眠というのはなぜ必要なのでしょうか? 学習の促進、記憶の定着など、睡眠というのは脳の機能において多大な利益をもたらしてくれることはよく知られています (Walker & Stickgold, Neuron , 2004; Diekelmann & Born, Nat. Rev. Neurosci. , 2010; Gilestro et al., Science , 2009) 。そして、最近の研究成果から日中に蓄積した代謝産物を一掃するのが睡眠の大事な役割であることがわかりました (Xie et al., Science , 2013) 。代謝産物には、睡眠を誘導する物質もあるので、脳の活...

脳の3DグラフィックをOpenFrameworksで作成

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脳の3Dグラフィックを書きます。 3次元の位置座標データがあれば、どんなものでもかけます。 MRIで撮像した構造画像からも作れるはず(詳しいことは知りません)ので、個人の脳を3Dグラフィックにもできるし、さらには3Dプリンターで印刷もできるはず(そのうちやるかも)。 今回は、以下のサイトからデータはダウンロードしました。 Brainder http://brainder.org/download/brain-for-blender/ 皮質も皮質下もデータあるみたいです。とりあえず今回は皮質だけ。 今回の方法では、objファイルとplyファイルであれば読み込みできます。 OFのプロジェクトジェネレータで、アドオンを追加します。 ofxAssimpModelLoader :objファイルplyファイル等々を読み込める。 //左右別なので二つ用意 ofxAssimpModelLoader modelL; ofxAssimpModelLoader modelR; //モデルのロード modelL.loadModel("lh.pial.ply",true); modelR.loadModel("rh.pial.ply",true); 基本はこれだけ!モデルの読み込みに自分のPCだと一つにつき2分ほどかかりました。最初なんかプログラムがいけないのかと疑ってしまった。 こんな感じになります。アドオンでGUIつけて、色を変えられるようにしてみました。なぜか、depthcheckするようにするとGUIがちゃんと表示されない…なんでだろう。 ヘッダーファイル #pragma once #include "ofMain.h" #include "ofxAssimpModelLoader.h" #include "ofxGui.h" class ofApp : public ofBaseApp{ public: void setup(); void update(); void draw(); ...

KINECT for Windows V2 をopenFrameworksで動かす

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KINECT V2をopenFrameworksで動かせるようになったので、その備忘録 KINECT V2をopenFrameworksで動かすためのアドオンとしては、 https://github.com/sadmb/ofxKinect2 など一部、使えるものも上がっているのだが、bodyFrameをとれるものがない… C++初心者でアドオン頼みだった私には酷な現実です。でもなんとかしないといけないので、頑張りました。 ソフト、OS等 OS:Windows 8.1 開発環境:Microsoft Visual Studio Express 2012 その他 ・openFrameworks v0.8.4 ・Microsoft Kinect for Windows v2 Software Development Kit (SDK) まずは、OFのアドオンに頼らずC++でKINECTを使えるようにセットアップ。 1.KINECT V2 用のSDKをダウンロード https://www.microsoft.com/en-us/kinectforwindows/develop/ SDKとは開発者用キットのこと。モーションキャプチャとか基本のアプリケーションとかコードもある。最初はこのC++コードを解読して使おうとしたけど、断念。とりあえずダウンロード。 SDK Browser いろいろあって楽しい。Installからコードも取得できる。 2.OFの新しいプロジェクトを作成 プロジェクトジェネレータとか、サンプルのコピペとかでもいいので新しいプロジェクトを作成する。 OFの基本操作については省略します。 3.インクルードディレクトリ等の追加 新規作成したプロジェクトを立ち上げ、プロジェクト->プロパティを選択。 構成プロパティ -> VC++ディレクトリを選択。 ・インクルードディレクトリを編集し、以下を追加する。   SDKのインストールディレクトリ \Kinect\v2.0_1409\inc ・ライブラリディレクトリには以下を追加する。(32bitか64bitかは適当に)    SDKのインストールディレクトリ \Kinect\v2.0_1409\\Lib\...

西丹沢・下棚沢

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シルバーウィーク中に西丹沢にある下棚沢を遡行してきました。丹沢の中でも人気の沢の一つ、下棚と呼ばれる豪快な滝から始まる沢です。比較的大きめの滝が多く、ロープワークも必要になってくる沢です。西丹沢なのでヒルもいないのがスバラシイとこ! 9/22 下棚 早朝都内の自宅を出発し、7:20に小田急新松田駅到着。バスを待つ登山者がいっぱい!! 7:25発の西丹沢自然教室行きに乗車し、一時間ほどバスに揺られ終点の西丹沢自然教室へ。西丹沢自然教室につくとレンジャー的な人が登山届の提出を促してきます。登山届を渡すとルートの状況を教えてくれるようだ。下棚沢については特にコメントなかったけど(笑) 西丹沢自然教室から橋を渡り(キャンプのテントがいっぱい)、堰堤を3つほど乗り越えると「下棚」の道標が現れる。ここで入渓の支度。男性三人組が巻道を登っていく。下棚までは右岸にしっかりとした道がついています。下棚は大迫力!ここは登らないので記念撮影をして退散。沢を少し戻り、左岸の巻道を登ります。小尾根まで上がり踏跡をたどっていくと懸垂下降もなく沢に戻れます。下棚とともにいくつかの滝も一緒に巻いてしまうので、懸垂で下棚の落ち口に降りるのもありかな。 3 m CS 沢床に戻ってからしばらく進むと、3 mCS。滑るので勢いで登り切るべし。その後ナメ 3段20mが出てきます。とりつきは右壁に古いスリングがある。滝を見ながら休憩をしていると、さきほど追い抜いた男性3人組が追いついてきた。以外と若そう、同い年くらいかなぁ。3人とも軽々とスリングの箇所を登って行った。残置スリングには「負け」だと思う私は、残置スリングのさらに右をどうにかこうにか上がる。岩がせり出しておりホールドも微妙で結構怖かった…取り付きを越えてしまえば、特に問題なし。 3段20 m すぐに4段40 m、傾斜の緩い一枚岩。最初は登りやすいので調子にのってスタスタ登っていたら、最後の方になって滑る滑る…ちょっと焦りつつなんとか登り切る。相方にはお助け紐を出してあげる。ここを超えるとしばらくはゴーロ歩き。 15 m滝。F1の下棚を除いて登れる滝のなかでは一番滝らしいかな。水かぶりながら登る感じだった。特別厳しそうではないので、私はフリーで直登。残置ハーケンは3本くらいあり。中腹以降は水を盛大に...

平ヶ岳・恋ノ 岐川

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 今夏の沢登りは平ヶ岳・恋ノ 岐川にいってきました。平ヶ岳は新潟県に位置し、越後三山と尾瀬の中間に位置する、日本百名山の一座です。頂上には湿原が広がる、名前の通りのっぺりとした山容の山です。恋ノ 岐川は、東日本でも随一の名渓。上越の 沢らしく、白い岩を持った明るい印象です。遡行距離が10 km程もありながら 水量はさほどではなく、ロープを使うような大滝はなく、快適な沢旅が楽しめます。 2015/8/20  18時頃、横浜近辺を車で出発。帰宅ラッシュらしく、環七の進みはかなり遅い。どうにか関越にのり、新潟県・小出ICまでひた走る。小出ICを降りてからも道のりは長く、山道を50 km以上走り、日をまたいだ頃にようやく平ヶ岳登山口に到着した。今夜はここで朝まで仮眠。 2015/8/21 恋ノ岐橋 → オホコ沢出合(遡行時間約7時間)  恋ノ岐川の入渓は、この登山口より10 kmほど山道を戻る必要がある。多くの沢屋は車二台で来て、下山場所のこの登山口に一台置いておくわけなのだが、われわれにはそんなの無理である。そのかわり、自転車(しかもママチャリ笑)を置いていく。盗難を恐れママチャリを選択したが、これが下山後の不幸を呼ぶことになろうとは… 登山届けをポストに出し自転車を置いて、我らは恋ノ岐橋へと移動。沢支度を整えて7時半頃に出発!昨晩の雨による増水を心配しつつ、遡行開始。下流部は小滝はちらほらあるがナメ床とゴーロが基本、快適な沢歩きが楽しめる。しかし残念なことに、しとしとと雨が降り続けるのであった… 途中で、下降をする単独の男性に出会った。昨晩の雨による増水を警戒し、降りてきたようだ。様子を見ながら、とりあえず遡行を続ける。直登が困難な滝も数本あるが、巻き道もしっかりしている。多少増水しているようで、腰くらいまで水に浸かる場面も出てきた。明日も雨予報だったので、今夜のテン場は退避も可能なオコホ沢出合にしよう。オホコ沢をエスケープルートに取れるし、なによりオホコ沢出合より上に進んでしまうと沢床は狭くなってくるため増水時の退避が難しい。この日オホコ沢出合に着いたのは、15時頃であった。オホコ沢出合は右岸に快適なテン場があり、2人用テントくらいなら幕営可能。ラジオで聞いた天気予報によると、明日は秋雨前線が北上し北陸と東北の太平洋側で雨予報、うーむ明日は大事...

デザインの一日@六本木

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昨日、森美術館で開催されている 「シンプルなかたち展」 と21_21DESIGN SIGHTで開催されている 「動きのカガク展」 を見に行ってきました。 「シンプルなかたち展」では、シンプルなかたちをテーマに古今東西あらゆるものが一堂に会していました。旧石器から飛行機のプロペラ、現代アートまで。 自然や数学、生物の形態などさまざまな角度からデザインをとらえていく、という展示になっています。その一つとして、◯がありました。 まるもしくは円は、もっともシンプルなかたちといってもいいかもしれません。天体の動きや月などを連想するかたちですし、そこからさらに、普遍性や永遠といった概念にもつながるかもしれません。(写真、オラファー・エリアソン<丸い虹>) 「動きのカガク展」では、動きの持つ表現力がテーマです。実際に触れたり、操作したり、来場者が参加しながら、楽しむことのできる展示ばかりです。最新の技術を駆使した作品にはどうなっているのだろうと首を傾げながら、比較的単純なカラクリであってもこうやって見せられると新鮮だなぁと驚いて、かなり楽しんできました。 私も、専門としている神経科学のことを一般の方々に直感的に体感してもらえるようなインスタレーションを作ろうと今動き出したところなので、とても良い刺激になりました。「動きのカガク展」の方は2015年9月27日まで開催しているそうです。 オラファー・エリアソン <丸い虹> 2005年

科学ジャーナリズムについて

私のいる大学では「科学技術ジャーナリズム」という講義が開講されていて、私は時々修士の学生に混じって聴講しています。その時に聞いた話を今回まとめました。 科学の常識は、世間には理解されにくいのが現状です。 科学は「ブレーキのない車」と言われます。(村上陽一郎『科学者とは何か』新潮選書) 知識と技能を職能の基礎とする人たちには、医師、聖職者、法曹家、そして科学者がいます(他にもいろいろあると思いますが、大まかに)。医師、聖職者、法曹家は苦しんでいる人たちを対象とした仕事です。外部社会とのつながりの上に成り立っていて、外部社会の評価を受ける職業です。 しかし一方で、科学者は同業者にのみ目を向け、同業者の評価だけを求めて、自己完結的な営みを重ねていると言われます。(全てが全てそうというわけではありませんが…) それは、専門誌に論文を載せることに重きを置き、それこそが共同体に対する誠実な態度と考えられているからです。メディアにばっか出ている人は科学者から疎まれるのもこうした科学の常識によるところです。そもそも、科学というものは過去の功績の上に積み重なるように、ときには過去の功績を書き換えながら、堅実な知識を蓄えてきたという事実があります。それゆえ、一般世間との壁は厚くなる一方であり、分野の細分化が進む現在では科学者同士であっても分野が違えば常識が通用しないということが起こるわけです。 科学は外国文学に例えられます。 例えばロシア文学を私たちが読むためには、二通りの方法があります。一つは、ロシア語を勉強すること、もう一つは翻訳を読むことです。科学を理解するための方法は、科学の基礎を学ぶことだけでしょうか。そんなことはありません。ロシア語をみんなが学ぶことが現実的でなく、翻訳を読む方が大半であることと同様に、科学についても翻訳が必要だということです。それこそが、科学をわかりやすく伝えるサイエンスライティングやサイエンスコミュニケーションの仕事です。 もちろん「戦争と平和」の邦訳を読んでも、トルストイの伝えたいことを完全に理解することはできません。ロシア語だからこその表現方法であったり、ロシアの文化、時代背景を私たちが共有できていないからです。しかし、翻訳を読むことはトルストイを知る入り口であり、その価値に触れるきっかけです(私は読んだことありませんが…)。興...

読んだ本メモ⑬ 「生物学のすすめ」 J.メイナード=スミス著、 木村武二訳

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イギリスの生物学者 J. メイナード = スミスによって書かれた“ The problem of Biology ” (1986 年刊 ) の邦訳版「生物学のすすめ」を読みました。邦題は若干ダサいですが、生物学について広範にわたって教えてくれる良著だと思います。内容は大学で学ぶ生物学相当で、高校の生物で習う程度の知識があれば難なく読める本です。 大学で進化生物学や細胞生物学を学んだことのある人にとっては、前半はいささか退屈です。でも、後半はとても面白い。生命の起源、行動などをテーマに生命・生物に対する疑問を解消してくれます。 いくつか、興味をそそられた内容をメモがてら紹介します。 まず、これは遺伝学の基本 遺伝学についての知識の発展には四つの主要な段階がありました。それはワイスマンによる生殖質と体質の独立の概念、一九〇〇年のメンデル法則再発見にもとづく遺伝における原子説の確立、主として T ・ H ・モーガンらのショウジョウバエの研究にもとづく染色体理論、そして一九五三年のワトソンとクリックによる DNA の構造決定に始まる分子遺伝学の成長の四段階です。 種とは? 異なるさまざまな基本形態があって、しかも中間型がないという事実から次のような疑問が生じます。生物には現在のいくつかの門が示している少数の設計図しかあり得なかったのでしょうか。それとも私たちは歴史の中で起きた偶然の積み重なりの結果を見ているのでしょうか。ダーウィン以前の被殻解剖学者は前者の見方をとっていましたが、ダーウィン以来、後者の見方が優勢になりました。 生物学者は、生命の謎に迫ろうと研究を進めれば進めるほど、精巧に作られたその仕組みに感嘆し、神の存在を意識せざるをえないといいます。わたしたちの持つ複雑な DNA は変異と自然選択の積み重ねが生んだ産物です。はたして生命誕生からこれまでの年月は、わたしたちの DNA ができるのに妥当な時間なのでしょうか。 進化にどれくらいの時間が必要かを算定する方法があるかどうかについて考えたいと思います。この問題に定量的にせまる道は一つしかないと思います。それは、ヒトのゲノムに存在する DNA が、自然淘汰によって特定なものになるだけの時間があったかどうかを調べることです。私たちは DNA がどのように発生を調節するか...

大菩薩山系 葛野川釜入沢・深入沢

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GWの休暇を利用し、沢を二つ落としてきました。 場所は葛野川の釜入沢(1級上)と深入沢(2級下)です。 5月4日8時半、クロスバイクを輪行して猿橋駅に到着。 今回は幕営具も入っているのでザックは推定15㎏くらい? そんなザックを背負って、猿橋駅から約15㎞のロードを走ります。登りなんでつらい・・・ 何とか11時頃、深城ダム到着。ダム見学&休憩している人ちらほら。 そんな人たちを尻目に私は、遡行の身支度。自転車と幕営具は目につかないところに隠して、出発です。 初日は、釜入沢。入渓は結構めんどくさそう。一応、深入沢とに挟まれた尾根にある山道(階段があります)を少し入り、すぐに沢沿いをトラバースする方法がスタンダードなようです。それ通りにうっすらある踏み跡を辿っていくと、比較的大きな沢筋にでます。結構急ですが、砂と落ち葉にまみれながら、転げ落ちるようになんとか沢床に降りれます。割と高度感あるので、同行者次第で懸垂も考慮ですね。 沢床についてみると、意外と小ぶりの沢ですが、明るく気持ちのいいところです。遡行開始! 気温も結構上がっているのもあり、水温は気持ちのいい程度。 岩は割とコケがついていて滑ります。しょっぱなの小滝でいきなり足を滑らせ、釜に顔面からダイブしてしまった。今シーズン最初の沢で、いきなりの洗礼を受けたおかげで、沢感覚が戻ってきて遡行スピードが上がる! 滝は基本的に直登の方針でガンガン突っ込む。もうびしょ濡れだから、釜に入るのも厭わない。 釜入沢の最大、3段13mに到着。下からは2段3段の下部はよく見えない。ルート100の記載では、「2段目までは登れそうだが、3段巻き」となっている。うーん。 まぁ、それぞれがかなり独立していることと、ゴルジュではなく、途中で立ち往生ということはなさそうなことを踏まえ、突撃することにした。その時の撮った動画が以下です。 3段をすべて直登(3段目はちょっと水線からずれている?笑)し、少し優越感に浸りつつ進んでいると、沢は傾斜を増していきます。最後の方は小滝が連続するような感じになり、次第に水は枯れていきます。最後の二股を左に進むとすぐに仕事道にぶつかりました。割としっかりした仕事道を左に進んでいくとすぐに深入沢とに挟まれた尾根上に出ました。(14時頃) ここから尾根道を下...

マグリット展 国立新美術館

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国立新美術館で開催中(2015年6月29日まで)のマグリット展にいきました。 日本でマグリットの作品をこれだけの数集めた展示は過去にはないようです。 マグリットというと僕が思い出すのは、林の中を進む馬に乗った女性が描かれた作品(「白紙委任状」)です。子どものころ本で見たときの印象が強く残っているのと、「だまし絵展」でも確か見た気がします。 今回は、そのほかにも「ゴルコンダ」や「空の鳥」など、著名な作品を多数見ることができます。マグリットさんのことをよく知らなかったので、単に不思議な絵を描く人としか思ってませんでした。今回さまざまな作品を見て思いました、この人頭おかしいなと。 まず、タイトルが本当にあってるのか疑ってしまう。今回展示されていた中に「発見」という作品がありました。マグリットさんは或る時、ある存在とまた別のある存在との境界は実はあいまいで、連続的に変化しているということを“発見”したそうです。それで、その変化を描いた作品に「発見」とタイトルを付けたそうです。ん?ってなります。タイトルってそういうものなの? 他にも、3人の男性の頭の上に三日月が描かれた作品があります。マグリットさんはこれまた或る時、実存する月は一つだが、個人にはそれぞれ心の中にそれぞれの三日月があることに気づいたそうです。そして、これは“傑作”になるといって、「傑作」とタイトルを付けたそうです。やっぱり、んん??って感じです。 これらは腑に落ちないタイトルではありますが、正直なところまだ理由が説明できるだけマシかもしれません。 また、彼の作品にはたびたび登場するモチーフがあります、「鈴」や「ライフル」「空」「岩」などなど。きっと、それぞれ何か意味があるのだろうとこちらは思います。そんな風に最初は鑑賞していました。でも、あれだけ訳わからないとなんだかどうでもよくなってきて、そうなってくると逆に面白くなってくるというか。 風景なり人物なりを描写していない絵画を鑑賞するときは、描かれているモチーフやタイトルから作者のメッセージを読み取ろうとしてしまいがちなんですが、彼の絵はなんらかの“感情”や独特の“浮遊感”を覚えさせるもので、それを純粋に楽しめたらいいのではないかなぁ。 写真は、購入したポストカード(「空の鳥」と「人の子」。ベルギー直輸入だそうです)。 ち...

読んだ本メモ⑫ 「オデッセウスの鎖 適応プログラムとしての感情」R.H.フランク著、山岸俊男監訳

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「感情」とはなにか、なぜ人は「感情」をいだくのでしょうか。 人間は利己的であると、現代の行動学者たちは考えている。(中略) 自己利益を見逃す生物は自然選択によって排除されると、生物学者は主張している。物質的報酬が学習で大きな役割を果たすことに心理学者は目を向ける。経済学者もまた、(中略)行動を説明したり予測するのに利己主義の観点が有効だとしている しかし「自己を優先する」という誇張された人間像は、多くの人間にあてはまらない。 と筆者は本書の冒頭で述べ、ボランティアや災害現場における勇敢な行動を例に挙げ、「自己利益を優先する」人間像に疑問を投げかけています。 本書では、先に述べたような自己利益追求モデルを真向から否定することなしに、社会学的もしくは進化生物学的になぜ人間が感情を持つようになったのか、利他的行動が自己の物質的な利益にどう作用し得るのかを鮮やかに説明してくれます。筆者は感情に基づく行動規範を、コミットメント・モデルと呼んでいます。 日本においても「情けは人の為ならず」などのことわざに表れているように、道徳感情は重要視されてきました。 まず、「感情」とは人間の脳にハードウェア的に組み込まれた先天性のものか、それとも文化による条件づけによる後天性のもの、どちらなのでしょう。 自己犠牲行動は、すべて文化による条件づけの結果によるのかもしれない。これはウィリアム・ハミルトンの視点である。ほとんどの文化は、道徳的規則を教育し、強化するのに多くの努力を払っている。これらの規則のほとんどは、「人間性の中の動物的部分」に異議を唱え、他人のために自分の利益を犠牲にするように呼びかけるものである。これらの規則は、ひょっとすると自己犠牲的な行動の本当の理由かもしれない。 しかし、少なくとも何種類かの自己犠牲的行動は、文化によっては説明できない。 文化による条件づけをある程度は認めつつも、それだけでは説明しきれないと述べてられています。とす ると、人間が先天的に持ち合わせている感情もあるということになります。つまりそれは、進化の過程で発達させた形質ということ。どうして自然選択により排除されなかったのでしょう、また排除されないということは生存に有利でなくてはなりません、なぜ自己犠牲などが自己利益に繋がるのでしょうか。 人間の自己利益に反...

読んだ本メモ⑪ 「夜間飛行」 サン=テグジュペリ著、堀口大學訳

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「人間の土地」に続き、「夜間飛行」も読んでみました。( 読んだ本メモ⑥「人間の土地」 ) 本作の方が書かれたのは早く、1931年に発表されています。 「人間の土地」同様、郵便飛行路の開拓を舞台に人間のあり方を示したサン=テグジュペリの代表作ですが、より物語的な要素が強い作品です。 飛行士ファビアン、支配人リヴィエール、監督ロビノーの三人を軸に、夜間飛行への強い使命感を帯びた職業人としての在り方と人間の本質・弱さとの葛藤が見事に表現されています。 主人公というべきは飛行士ファビアンなのだろうけれど、どうしても支配人に注目してしまいます。郵便飛行の一切を取り仕切る立場にあるリヴィエールは、厳格で冷徹な上司。如何なる理由においても遅刻や整備不良を許さず、整備士や飛行士を厳罰に処するのです。しかし、リヴィエールは根っからの冷徹な人間というわけではありません。当時、夜間飛行というのは困難を極める事業でした。郵便飛行の存在意義は鉄道などの輸送手段よりも速いことにありますが、危険だと言って夜間に飛行機を飛ばさなければ、夜間に運行が可能なその他交通機関に対する優位性はなくなってしまいます。 郵便飛行事業の明日のために、部下に嫌われようとも、冷徹であり続けるリヴィエールはまさしく職業人なのです。そんなリヴィエールはこんな風に述べています、 「規則というものは、宗教でいうなら儀式のようなもので、ばかげたことのようだが人間を鍛えてくれる」 ~中略~ 彼は厳格さで彼らを抑制するつもりはさらになかった。彼はただこれによって、彼ら自身から脱却させてやりたかった。彼がこのように、あらゆる遅刻を一様に罰するのは、もちろん不公平な行為かもしれないが、ただ彼はこうすることによってそれぞれの飛行場の意志を、出発に向けて緊張させた。いわば彼はこの意志を創造したのだ。配下の人員が、 (中略) 悪天候を喜ぶのを禁ずることで、彼は彼らに天候回復に対する熱望を与えた。その結果、最も無知な荷役係までが、待機の時間を内心恥じるようになった。 (中略) リヴィエールあればこそ、延長一万五千キロメートルにわたる航空路の全線に、便に対する信念がすべてを越えて行き渡った。 「愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。ところが僕は決して同情はしない。いや、しないわけで...

脳科学と哲学つらつら

思ったことを、しゃべるように脈絡なく… 現代では、自然科学を研究する人のことを科学者と呼びますけど、それは学問が細分化されていく過程でそうなっただけであって、今でいう自然科学で取り上げるものも、人文系で取り上げるものも、古代ではソクラテスだったりプラトンだったりが、等しく議論していたわけだ。 その人たちを我々は哲学者とか思想家って呼びます。ということで、哲学っていうは、すべての学問の祖先みたいなものだと僕は考えるわけです。今でこそ、学問は細分化され、それぞれの分野に専門家がいて、つまり分業制で、それでもってすさまじい勢いで発展してきたわけですけど、そんなの人類の歴史で言ったらここ最近の話。 いろいろと考えていると、なんだか哲学的な問いに辿りついてしまうんです。高校生のとき、哲学なんてあらゆる学問の中で一番嫌いだった。よくわからん言葉で語られた、なんの役にも立たなそうな、そして退屈なもので。 でも、一応私の専門である神経科学においては(特に脳を扱うことって)、細分化された自然科学の一分野としてできたはずなのに、突き詰めていくと哲学になってしまうと思うんですよね。脳科学って実はその時点で、逆説的というかパラドックスに陥っていて、考えているそれ自体が脳のなせる業なのだから、解くべき対象と解くためのツールが一緒ってことになります、まったく無理な話です。そういうパラドックスって結構いろんな場面に存在している気もするんですけど、脳科学ってその究極的なものかなぁと。 今後、計測技術が益々発達して、たとえば神経細胞一つ一つの活動が、リアルタイムに計測できるなんてことが実現したら、いろんなことがわかるでしょうし、大いに脳科学は発展するでしょう。 ですが、結局、そういった神経細胞の活動の結果として、なんで我々は考えたり、感じたり、しているのかというのを理解したことになるのでしょうか。 いわゆる意識ってなに?とか、質感(クオリア)って?って話だと思いますが、人間の脳で考えている以上、答えが出ないのはしょうがないのかもしれません。(僕はその手の本を読んだことがないので見当違いかもしれませんが…) たとえば、いくらコンピュータが発達して、人の気持ちも理解できて、学習もできる人工知能ができたからって、じゃあその人工知能が人間と同じように感じているなんて人間は誰...

沢登り@奥多摩坊主谷

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昨年の9月ですが、奥多摩の坊主谷を遡行してきました。 そして、一年ほど前に購入したGoPro(アクションカメラ)をヘルメットにマウントして撮影した動画を、 これまた半年ほど前に購入したiPadでもって、 やっと最近になって編集しました。 動画編集は初めてでしたが、iMovieだと結構簡単にできちゃいます。 といっても大したことしてませんが、笑 ヘルメットにマウントして撮影した動画だと、多少疑似体験ぽくなりますかね。 沢登り経験のない方々に見てもらえれば幸い。

読んだ本メモ⑩ 「生命とは何か 物理的に見た生細胞」 シュレディンガー著 岡小天・鎮目恭夫訳

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ついに読んでみました。量子力学の巨人、シュレディンガーの名著。 生物系の研究者なら、読むべき一冊かと思い読みました。 結論から言うと、私には消化しきれない… 新しい学問を創造するとは、こういうことなのか、ということだけはわかりました笑 この本を、レビューすることは到底できなそうなので、 気になった内容をいくつか、備忘録として残します。 なぜ原子は小さいのか、むしろなぜ生物は原子に対してこれほどまでに大きくできているのか。 生命活動は秩序。原子の集合が秩序を生み出すには、必要な大きさ。 脳およびそれに付随した感覚系のような器官は、それに物理的な変化が行われる状態が、高度に発達した思考と密接に対応するためには、なぜ必ず莫大な数の原子から成り立っていなければならないのでしょうか?かかる器官のこのような任務が、この器官が全体としてあるいは環境と直接に相互作用する抹消部分の一部において、外界からくるただ一個の原子の衝突に対し反応を示しその影響をとどめるに足るほど精緻で敏感な仕掛けになっていることと両立しないのは、一体如何なる根拠によるのでしょうか?  その答えは、われわれが思考と呼ぶところのものは、(1)それ自身秩序正しいものであること、(2)或る一定度の秩序正しさを具えた知覚あるいは経験のみを対象とし、そのような素材のみに適用されること、であります。このことから、次の二つの結論がひき出されます。 第一に、一つの物質組織が思考と密接に対応するためには(私の脳髄が私の思考と対応するように)、それは非常にきちんとした秩序のある組織でなければなりません。このことは、その中で起こる事象が少なくともはなはだ高い精度で厳密な物理的法則に従うべきことを意味します。第二に、このように物理的にきちんとした秩序ある体系に対して、ほかの物体により外界から加えられた物理的作用は、それに応ずる思考の素材(対象)になる知覚や経験に対応することは明らかです。 お前たちはゆらぐ現象として漂っているものを持久する思惟でつなぎとめておくがよい。 ゲーテ もし決して自己矛盾に陥らない人があるならば、それは事実上まったく何も言わなかった人だからに違いない。 ミゲル・デ・ウナムーノの言葉から  (1)私のからだは自然法則に従って、一つの純粋な機械仕掛...